にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ
にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ
          ブログ村ランキングに参加中です

『今日の一枚』  この絶景・・・この傾斜が私を苦しめた

おやじランナーのランニング活動を応援してくださる方、
写真をワンクリック!お願いしますね 
みなさんの激励・応援のおかげで、頑張ることができます 



【本日のテーマ】
『UTMB(その10)~REFUGE BERTONEにて終了まで』

COURMAYEURを関門すれすれの11:55ごろ出た私。
スタートしたものの、足の状態は芳しくありません。
しかも靴にはいっぱい山の土が入って気持ち悪いのですが、それを一度も脱いできれいにしていません。

スタート直後、道端に腰掛けて靴を脱いで、したためた土を片足ずつ捨てました。
背中のリュックも身体にダメージを与えています。
背中にハイドレーションのパイプが出っ張っているのか、ずっと擦れて腰のあたりが血まみれになっています。
すでに痛さを通り越していました。
肩のストラップを締めすぎたのか、左肩がずっと擦れていたい。
あとで見たら、左肩は剥けていました。

少し落ち着いて自分の状況を確認すると、ずいぶんひどい状態になっていることに気付きました。
それでも夢中で走っていると、興奮状態にあるのでしょうか、そういった痛みなどをあまり気にせずに進んでいくのでしょう。
こうして落ち着くと、今自分がとんでもないことをしているということに一瞬ひるんでしまいそうになります。
いかんいかん、行くんだ行くんだ。
めったに英語が母国語のランナーはいないのですが、2人のオーストラリア人が座っている私に「大丈夫か、日本人!」と声をかけてくれました。
「ああ、ちょっと靴の土を取っているだけだよ。すぐに追いつくよ。」と返事したら、「先に行って待っているよ。」と笑顔でエールをくれました。
このレースはフランス語やイタリア語など、ヨーロッパ語の国の方が多いので、英語が完全アウェイな感じ。
たまに英語圏のランナーがいると、安心してか、話が弾みます。

さあ、元気ももらってレース再開。
しばらくは街中のロードを走りますが、すぐに山に向かう淋しい道に様子が変わります。
次の関門であるARNUVAまでは17.4kmもあります。
それを5時間15分の設定。
今思えば、1時間で3.5kmほどですから、そんなに難しいわけではない。
ですがそれは全く休まなければの話。
私はあまりさえない頭で、関門までのペースを計算しましたが、とにかくがんばれるところは急がないと・・・と思いました。

関門までに、エイドが2箇所。
次のエイドはREFUGE BERTONE。
COURMAYEURからの距離は4.9kmですが、登り一辺倒。
確かに登っているのですが、山道に入ってから、つづら折りの登りになりました。
傾斜もさることながら、どこまでこの登りが続くんだろう・・・みたいな感じになってきました。
それと時刻が午後の一番暑い時間帯。
標高は高いのですが、気温がグングン上がってきて、暑さが体力と気力を奪います。
コース序盤は、スタスタと早歩きをしていたのですが、山道に入るやいなやペースダウン。
そして段々ペースは落ちてしまい、最後はグロッキー状態にまで陥りました。
登ろうとするのですが、気力も体力も私を前へ向かわせようとしない。
どんどん後ろから来る後続の方に道を譲り、私は何度も立ち止まり、あえいでいました。
この時点で、かなり気持ちが折れてしまったことは間違いありません。

時折、山頂からランナーが降りてきて、私たちとすれ違います。
おそらくレースをあきらめて、COURMAYEURまで戻ろうとする人たちなのだとわかりました。
まだまだ元気そうなのに、リタイアか・・・。
私は今の自分に、最後までレースを続けられるのだろうかという不安が渦巻き始めるのに気付きました。
それでもここまできたらとにかく、REFUGE BERTONEまでは行かなければ。

DSC02159

















私がREFUGE BERTONE(82.0km地点)にたどり着いたのは、14:00:34
本当に、「這々の体(ほうほうのてい)」というのはこのことでしょう。
ようやく、ようやく・・・ホントにようやくたどり着いたという感じ。

エイドは閑散としています。
それがいかに到着時刻が遅いかをあらわしています。
このあたりにいるランナーは、おそらく完走ができない者ばかりなんだろうなあ。
コーラを飲み干し、水をもらって口をゆすぎ、いすにドッカと腰をおろしました。
ああ~、疲れた。
本当に疲れたし、ホッとしたこともあってか、眠気が襲ってきました。
そして折からの暑さで頭が沸騰するような熱さを感じます。
頭を抱えてしばらくいすに座り込んでいました。

するとスタッフが英語で問いかけてきました。
「日本人大丈夫か?」
私は「かなり疲れた。眠気が襲ってきたのと、暑さのせいか頭が痛いんだ。」と答えました。
スタッフの方が、体温計を持ってきてくれました。
測ってみると、37.7℃。
そりゃそうでしょうね。
今までレース中に体温を測ってみたことなどないけれど、こんな暑い中で運動直後に体温を測ったら、きっとこんな具合なのではないでしょうか。
しかし、弱気になっていたのもあるのでしょうか、その体温を聞いたときに、急に気持ちが萎えた自分を感じました。
スタッフからは「ここから先に進もうと思うなら、12km先の関門まで行かなければ、リタイアバスには乗せてもらえない。そこまで自力で行くことになる。今なら来た道を5km引き返せばCOURMAYEURに戻ってリタイアバスに乗れる。熱がある以上、命の保証ができない。これ以上レースを継続することを、中断してもらえないか。」という内容のことを言われました。
関門までは約3時間。
距離は12.5km。
ここからは、今までのような急傾斜ではありません。
小さな登り下りを繰り返しながら、関門前の数キロは下りになります。
行って行けないことはない。
しかし・・・睡眠不足、発熱、極度の疲労から足も前に出ないことなど考えると、これ以上進むことは困難だと、誰にでもわかります。
ですが、見送ってくれた仲間のこと、それに二度とこのレースには戻ってこれないこと、ここに来るまでの長い長い努力を考えると、簡単にはあきらめる気になれませんでした。

意を決してもう一度スタッフに相談してみました。
「私が行くことを選んでもかまわないか?」と。
すると今度はやや厳しい表情で、「気持ちはわかるが、ここは中止してくれないか。あなたの命に何かあれば、このレースにも問題が起こる。中止することを勧める。」と言われました。
私は、「あなたの忠告に従います。」と返事し、リタイアの勧告を受け入れました。
スタッフの方は私の心情を察したのか、私を抱きかかえるようにハグしてくれました。
そして、「今度はいいコンディションでレースに戻ってきてくれ。待っているから、きっとまた会おう!」と慰めてくれたのです。
私はそういうスタッフの方の思いやりがうれしかったです。
これ以上気を遣わせてもいけなかったので、私はさばさばした表情で、「力不足だった。もっと練習して、またチャレンジしますよ。ありがとう!」と、努めて明るい表情で、エイドをあとにしました。

DSC02162

















これはリタイア直後の私の表情。
全く顔の表情に生気がありません。

DSC02161

















振り返ってみるとこんな絶景。
さて、今まで登ってきたこのつづら折りの山道を、今度は下っていくわけです。
こんなきつい傾斜を登ってきたのか・・・逆に下ってみてわかります。
昨年のUTMFチャンピオンの原さんも、今日この登りに気持ちが折れてリタイアしたとあとで聞きました。
そんな登りなんだ・・・。
降りながらも、下からまだ上ってくる選手とすれ違う。
私以上に疲弊して、あえぎながら登ってくるわけです。
「アレアレ(がんばれ!)」と声をかけますが、目線を送ることもできないで登ってきます。
それほど苦しいのですね。
降り始めて間もなく、最後尾のランナーとすれ違いました。
スイーパーが帯同しています。
私は最後尾の20~30分前に位置していたようです。
なかなかここからの復活は厳しかっただろうなあ・・・と、自分のリタイアは正しい判断だと自分を納得させながら、ノロノロと山を降りていきました。

DSC02165

















こうして下を時折眺めてみると、遙か下にCOURMAYEURの街が見えます。
あんな所から登ってきたのか・・・。
ここでめまいが再びしたような気がします。
下りとはいえ走れない私にとっては、長い長い道のりでした。
COURMAYEURの街にはいると、道に迷いながらエイド地点までようやくたどり着きました。
何と、登りと同じ2時間かかってしまいました。
街に降りたときには、時間は夕方4時を回っていました。
すでにエイドはきれいに片付けられ、バスの乗り場と思われるところにいって、CHAMONIXまで戻りたいんだというと、30分待ってくれれば次のバスがくると言われました。
どうやら今ちょうど、前のバスが出たところのようです。
感じからすると、CHAMONIX行きのバスは、次が最終のような雰囲気でした。

ゼッケンや足のサポーターをはずしたり、靴の土を落としたりしながら、荷物を整理してバスを待ちました。
私と同じようにリタイアしたランナーや、応援の家族の方たちでしょうか、数人がテントでバスを待っていました。
CHAMONIXまではどれぐらいの時間だったでしょうか・・・。
小一時間だと思いますが、ウトウトとうたた寝したり、ぼんやりと景色を眺めているうちに、スタート地点のCHAMONIXまで戻ってきました。

ドロップバッグを預けた場所で今度は受け取り、ホテルまで歩いて帰りました。
ホテルがすぐ近くだったのは、幸いでした。
部屋に戻ると、すでにROBINさんが休んでいました。
ROBINさんもCOURMAYEURですでにリタイアしたとのことでした。
やはりあのあたりが1つの山場というか、壁なのでしょうね。
ピークの年齢を超えた私たちには、少し高いハードルだったのかもしれません。

こうして私の「UTMB」は、レースの中止勧告によるリタイア・・・という形で終了しました。
速報でもコメントしたように、これが最初で最後のチャレンジです。
無念さはあとからこみ上げてきます。
色んな後悔も。
ですが、それも含めて自分の中では、1回こっきりのチャレンジと決めてのぞんだことですから、満足はしませんが納得をしています。
私はUTMBに負けたのだということです。
それ以上でも以下でもないのです。

これからの私は・・・と、その日はしばらく色々考えました。
自分のこれからのことは、ここでまた少しずつお話ししていきましょう。

UTMBに参加することに際し、応援のコメントをくださったみなさん。
また現地でお声掛けくださった同士のみなさん。
本当にありがとうございました。
完走はなりませんでしたが、こうして無事に人生最後の大チャレンジを無事に終えることができました。
感謝の気持ちを忘れずに、これからの自分の道を考えてみます。


8man おやじランナーのランニング活動を応援してくださる方、ワンクリックお願いします。

ブログ村ランキングに参加中です



今日の格言

『完走できなくても得る物は大きい』

最後まで読んでいただき、ありがとうございました
ブログランキングの応援お願いします
皆さんのワンクリックが力になります
よろしければこの写真をポチッとお願いします


frank


【ブログ村ランキング】
おやじランナーの
ランニング活動を
応援していただける
方は、『左の写真』
ぜひ『ワンクリック』
ご協力お願いします。