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『今日の一枚』  スタートからリタイアまでの全記録です

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【本日のテーマ】
『UTMB後記~レースを振り返って』

ヨーロッパ時間、2014年8月30日午後14時15分。
私のランニング人生における長年の夢は、終わりました。
もっといい夢なら、なお良かったのですが、残念ながらゴールで日の丸を手に、観衆の祝福を受けることはできませんでした。
ですが、リタイアを宣言したとき、私の戦いは終わったんだと思ったのと同時に、少し笑みがこぼれるような感情だったのを記憶しています。
あの感覚は何だったんだろう。

富士登山で関門時間オーバーで止められた以外、自分からリタイアはなかった私。
初めてのリタイアが、スパルタスロン。
厳しいレースだとは思っていましたが、あのときの初めてリタイアを宣言する心境は忘れもしません。
強烈な敗北感、挫折感、失望・・・ほかになんだろう・・・。
とにかく悔しさだけが心に刻まれ、必ずここに戻ってくるとリベンジを胸に誓いました。
それは奇しくも50歳になって最初のレースだったのです。

しかしそれ以降、力の衰えもあるだろうし、練習がそれまでと違うこともありますが、リタイアが相次ぎました。
えびすだいこく、ハセツネ、関スパ、萩往還、UTMF・・・。
それぞれリタイアの理由は異なりますが、それでもそこまで10年あまり、リタイアがない私が、この2年足らずであまりにリタイアが多すぎる。
確かに昔のような、ハーフやせいぜいフルマラソンだけというような、なまやさしいレースではないことはあります。
100kmは当たり前で、100マイルのトレイルなんて、常識的には完走ができないのが当たり前でしょうから。
でも、そんなこと当たり前にできていたんです・・・40代までは。
50代になってから・・・いや、スパルタで挫折してから、明らかに私の粘りがなくなってきています。

私はその要因を、フィジカル的なものよりも、メンタル的なものの方が大きいのではないかと思うのです。
今回は違いましたけど、最近は簡単にやめすぎました。
たとえば今年のえびすだいこく100km。
75kmあたりのエイドにゴールの出雲大社行きの電車の駅があるのですが、ここで確信犯的にリタイアしています。
理由は、「帰りのバスに乗れなかったら、その日のうちに帰れない」からです。
確かにそれは事実なんですが、以前なら、限界にきていても、帰りのバスに間に合うように、歯を食いしばってがんばったはずです。
それがどうしてもできなかったのです。
帰れなかったら大変だから、無理せずにやめよう・・・。

判断は間違いではないのだと思うのです。
自分の余暇で走っているレースのために、本業に影響を及ぼすなど、社会人としてもってのほかですから、安全に帰る方法を選ぶのが正解に決まっています。
ですが、そのようなレース判断をサラッと惜しげのなくやってしまうようになった自分に、もうランナーとしての伸びシロは感じないなあと思いました。

「まあいいか」

何かの目標・・・たとえば完走とか、目標時間など・・・が達成できなくなりそうなとき、もう以前ほどもがき苦しまなくなりました。
自分にはこれ以上無理だから、もういいんだと、簡単にあきらめるようになったのでしょうか・・・。
「スパルタを完走できなかった自分に、これをがんばれる力などない・・・」と、心のどこかにそんなイメージが植え付けられたのは間違いないんです。
「リタイア癖」という、悪い習慣が身についてしまったわけですよ。

さて、今回のUTMBに関して。
ここ最近のレースと同じで、以前のようなガッツリ練習・・・というのはできずに臨んでいます。
レースプランはそれなりに立てましたが、かなり苦しい完走計画。
睡眠時間の捻出が難しかったです。
貯金がどうしてもコース図からして1時間出すのが精一杯で。
なので、仮にレースプラン通り進んでこれたとしても、おそらくどこかで睡魔に襲われ、あえなく撃沈となったのではないでしょうか。
ただ、あの時点でのリタイアがどうだったか。
その評価は分かれるところでしょうね。
関門時間オーバーになるまでは、粘るべきだった・・・あるいは、あれ以上無理して取り返しのつかないことにならなくて良かったなど・・・。

今回のレースに関しては、「絶対に自分からリタイアしない!」という、強い気持ちで臨んだことは確かです。
それはここ数回のレースとは違います。
送り出してくれた仲間のことや、このレースに出るまでの、長い長い道のりを考えると、絶対に完走しなければ意味がないと考えていましたから。
ですがあのリタイアを宣言した瞬間、私の頭をよぎった感情は、ひと言で言えば「安堵」という言葉が一番近いかもしれません。
もう無理しなくていいんだ、と思うと、ホッとした気持ち・・・何かの呪縛から解き放たれたかのような、楽な気持ちになりました。
なので、悲壮な悔しさではなく、何となく笑みのこぼれるような、さばさばとした感覚でした。
一方で感じたことは、自分の限界。
もう私には、こんな戦いをする力も気力もないんだと感じました。
ベテランのボクサーが若手にノックアウトされ、引退を決意する瞬間って、もしかしたらこんな感覚ではないのでしょうか。
だからその時によぎったことは、「もうトレランレースに出ることはない」・・・ということです。
それはある程度、レース前から思っていたことでした。

少なくとも、日本のトレランレースには辟易していたのです。
たとえばハセツネ。
あれはレースとしてタイムを競える環境にはもうないでしょう?
市道山の登りで、どれほど並びますか。
レースを経験された方はおわかりでしょう。
UTMFしかり。
あの杓子山の1時間動かない渋滞は何だったんだろう。
それを思うと、日本のトレランレースは、参加者数と環境が、まだまだレースとして未成熟だと感じるのです。
環境が未成熟であると同時に、ランナーも未成熟である方が多い。
それは私にも言えたことかもしれませんが、ブームに乗って始めたものの、トレランレースの常識やマナーをふまえないランナーがいまだ多い。
なのでレースが今ひとつ楽しめないことが多かったです。

もう一つはランナーの気質?というか、考え方の相違。
日本のトレラン・・・けっこうガツガツ行く人が多くないですか?
タイムや順位が大切なのはわかりますが、そういう発想は実は海外レースには乏しいかも知れないです。
今回UTMBで感じたのは、そういう人はまずいなかったなあと。
助け合って、楽しみながら、一緒に168kmを克服する。
そういう走り方。
完走した人全員が勝者。
互いの健闘をたたえ合う。
そんな雰囲気・・・国内レースでは少しかけているところ・・・見習いたいところ。

話がそれましたが、国内レースにはもうでない。
トレランは、個人で楽しむもので、日本国内のレースで争うものではないと感じています。
そしてUTMBを最後に、これでレースには出ることはないでしょう。

これからどうしよう。
それがレース終わってからの私の悩み。
でも同時に楽しみでもある。
一度しかない人生の中の「ランニングライフ」。
これから新しいステージを目指してみましょうか。
その答えをこれから求めることも楽しみですから。


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今日の格言

『進む道の答えは・・・』

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